ヒカ碁対応・囲碁用語解説

ヒカ碁各局にでてきた囲碁関連の言葉を、haradaiσ(^_^;なりに解説。定義ではありません。軽い気持ちで読んでくださればうれしいです。随時更新します。

第1局〜第9局 第10局〜第19局 第20局〜第29局 第30局〜第39局 第40局〜第49局

第1局「棋聖降臨」

碁盤(ごばん)
囲碁を打つのに使う盤。19本の線が縦横に引かれており、その19×19(=361)個の交点が石を打つ場所です。安いものは折りたたみ碁盤やマグネット碁盤などあるけど、高いものには○寸盤とかいう厚みを持った盤があります。足つき碁盤で打つ機会は滅多にないでしょう。ぼくも、千葉県の自宅近くの碁会所で打つとき以外にはまったくないですね。だからおじいちゃんに足つき碁盤を買ってもらったヒカルがとてもうらやましく感じられるわけです。
碁笥(ごけ)
囲碁を打つのに使う石の容器。打つときにはここから直接取り出して打ちます。碁笥には蓋がついており、アゲハマを入れるのに使います。だから蓋は重要です。
アゲハマ(あげはま)
囲碁では相手の石の四方をぴったり囲めばその石を取り上げることができますが、その取り上げた石のことをアゲハマといいます。漢字では揚げ浜と書く??打ち上げられた蛤からきてるのでしょうか??この石は最後対局が終了したときに、相手の地を埋めるのに使います。
御城碁(おしろご)
江戸時代に、将軍の前で打たれた対局をいう。いつから始まったかは記録に残っていないらしいですが、1864年までは続けられたそうです。
局(きょく)
囲碁の対局の数え方の単位。大根一本、タンス一そう、囲碁一局。
石を置く・置き石・置碁
「打つ」でなく、「置く」といえば、明らかに両対局者の実力が異なる時にハンデをもらうことを意味する。実力の差によって2子から9子まで石を決められた場所にあらかじめ置いてから打つことになる。 世には自由置碁というのがあります。下手が石を置く場所を自由に決められる置碁をそういいます。
白石
白い方の石。置碁では上手(うわて:実力が上の方の人をこういう)が持つ石と決まっており、互先なら後手番の人が持つ石です。また、ニギリでニギる方の石です。
 普通石はガラスやプラスチックで作られていますが、高級な石は、黒は那智黒という石、白はハマグリの殻を使って作られているそうです。ハマグリの殻で作られた白石にはうっすらと青みのかった線が透けて見えてきれいです。ところで世には「グリーン碁石」なるものがあり、黒石が濃い緑、白石が薄い緑になっています。グリーン碁石だと目に優しい、そうです。
黒石
黒い方の石。置碁では下手(したて:実力が下の方のことをこういう)が持つ石です。互先では先手が持つ石です。ニギリでは、白石の偶奇を当てるために使う石。黒石で打つことを「黒を持つ」といいます。互先で黒石をとった人のことは「黒番」または「先番」という。
盤上の9つの黒点を指す言葉。特にここに打つと有利になるというわけではありません。単に場所を示すだけです。盤は19×19と広いので、星を石を置く目印とすれば間違いにくいという意味があるのでしょう。4の四、4の十、4の十六、10の四、10の十(天元)、10の十六、16の四、16の十、16の十六が星です。 辺にあるものを辺の星、中央を特に天元といいます。
本因坊秀策
江戸時代の棋士で、とても強かったらしい。碁聖とよばれたのは、秀策と本因坊道策ただ二人だけ。というのは江戸時代の話ですね(^_^;; どうも、平安時代には既にこの呼称があったらしいです。 ちなみに囲碁の起源ですが、あまりに昔の話なのではっきりせず、ほぼ神話化してしまっているようです。一応中国起源説と、インド起源説があるようです。
日本起源ではないということですね。しかし、囲碁が発展したのは日本で、中国や韓国よりも最近まではずっと進んでいたはずです。今は中国も日本と同様盛んです。韓国はむしろ日本よりも盛んみたい。
小目
盤上の位置を示す言葉。星よりも一路盤端に近い点であり、盤上には8つある。
大ゲイマガカリ
大ゲイマというのは既に盤上にある石との相対的な位置関係を示す言葉で、図を見れば一見してわかるかな。ちなみに「大ゲイマ」というのはもちろん「大きいケイマ」の意味ですが、「ケイマ」という用語は将棋の「桂馬」からきているそうです。桂馬の動き方と形が同じだということですね。また、「ケイマ」を英語で言うと"Knight's move"(“ナイトの手”。囲碁の一手は"move"という。「悪い手」は"bad move"となる。)で、これはチェスのナイトのことです。英語になるとケイマもナイトになるんですね(^_^;)。
 
 
コスミ
コスミもまた相対的な位置関係を示す言葉。普通は自分の石との位置関係を表す際に使われる。
サガリ
盤端に近いときにのみつかわれることば。自分の石の盤端側一路となりに打つ手が「サガリ」と言われる。

第2局「はるかな高み」

好手
いい手のこと。普通の手とも言う(笑)。手を評価する言葉は、発言者の主観や対局者の棋力によっていくらでも変わるものなので、客観的にどのくらいいい手なのかなどと言うことはできないです。
いろいろバージョンがあります。好点というのは、主に布石の段階で使われる言葉で、手そのものというよりも、「そこに打てば大きい」、そんな点を指して言う。
妙手というのは、普通の手ではなく、一見気づかないとても良い手の事。絶妙手というのは、妙手であり、かつその手が明らかに大きな効果を上げるときに用いる。「〜着」と言う言い方もします。「妙着」というのは妙手と似た意味。多分「絶妙な着想」からきてるんでしょ。
アタリ
あと一手打たれたらとられるようになっている状態を指す。「その白がアタリになっているから……」「そこ打つと次アタリだよ」など。アタリにする手をアテという。アタリにすることをアテるという。ちなみに、「アタリアタリのヘボ碁かな」と言う言葉があります。ここでいうアタリとは、アテのことです。アテル手というのは、悪手になることが多いのでこういう風にいいます。
オサエ
相手の石の志向する方面を接触しながら遮る手。
子(し)
石の数の単位。「目(もく)」は地の数の単位。置き石の単位も「子(し)」だが、混同して例えば「4目置く」などといわれることもある。
眼(め)
石の一団がとられるかとられないかと状態に初めて現れる概念で、絶対に潰されない地をこのように言う。これを2つ作る余地がなければ、その石の団体は死んでしまうというとても大切なもの。
(石が)死んでいる
眼を2つ作ることができない状態。そうなることを「石が死ぬ」という。
石取りゲーム
 
碁を打つ・石を打つ
囲碁のゲームをすることを、「囲碁を打つ」と言い、超基本にして頻出のイディオム。「囲碁をする」、「囲碁を指す」、などの言い方はしない。こんな事を言うとすぐに初心者だってばれます。「囲碁で遊ぶ」「イゴイゴする」はありかも(笑)。英語ではplay goでいいんだけどね。「打(う)ちましょう」というと、囲碁のゲームをしましょう、と言う意味。石を打つとは、自分のターンで自分の考えを反映させた石を盤上に置くことをいいます。基本動作です。石をバットとかトンカチで打つわけではないです。
小ゲイマガカリ
上の図の右下を見て下さい。相手の石に対してこの図のケイマの位置に打つことを「小ゲイマガカリ」といいます。「ケイマガカリ」とは言いません。大ゲイマガカリとはっきり区別を付けるためでしょうね。ただ、この場合以外はケイマといえばかならず小ゲイマを指します。 
〜(算用数字)の〜(漢数字)
:盤上の点の絶対的な位置を指定する表現方法。言葉で一手を表現するときには、対局の放映などでもわかるように、絶対位置と相対位置を言うことで誤解を防ぐ。
 たとえば、「4の三(←絶対位置)、下ツケ(←相対位置)」などといえば間違いないでしょう。相対位置は余り間違わないので……。
天元戦
天元というのは、碁盤の中心の点を示す言葉ですが、タイトル戦の名前にも使われています。北海道新聞社・中日新聞社・西日本新聞社の新聞三社連合がスポンサーらしいです。本戦では32人ほどの棋士がトーナメント戦を争い、優勝者がタイトル者と五番勝負の挑戦手合いを打つ権利を得ます。挑戦手合いは持ち時間は五時間、一日制の碁です。
碁会所
お金を払って囲碁を打つ場所。ここで鍛えられると間違いなく棋風が力碁になる。
 
棋力
 囲碁の強さを示す目安を表したもの。アマチュアには級と段があり、級は下は30級とも25級ともいわれるが、数字が小さくなるほど強い。1級を超えると入段であり、初段になる。段をとってからは数が大きくなるほど強い。級は算用数字で、段は漢数字で表すと段の重みが感じられる(笑)。
 アマチュアでは段は七段まであり、正式な日本棋院の七段は全国優勝者などにしか与えられないそうな。ただ、「〜段格」と言う形ではいくらでも適当に言っております。アマ五段に3子置かせて勝つような強い人は、日本棋院では六段認定でも、普通の碁会所などでは八段格として扱われることに。しかし一般的には六段で頭打ちになるために、六段にはピンからキリまでいる(と思う)。
 ちなみにプロは初段から九段まであり、これは棋力というか、むしろ立場的な強さ(笑)を示す指標に思われる。もちろん強くないと上に上がれないのですけどね。。。プロ初段に9子局で打てて、アマ初段である(つまりプロ初段はアマ十段格)と言う段位の基準の目安を聞いたことがありますがまゆつばものです。
 ヒカ碁の登場人物の棋力はどのくらいなんでしょうか……。
 いろいろいわれますが、ぼくの推測では筒井さん二段、三谷君五段、加賀五,六段、岸本七段格くらい。じーちゃんと打ったときのヒカルは三段くらい、ヒカルのじーちゃん五段。阿古田さん四,五段、岸本と打ったときのヒカルは五段、今のヒカルは(三面打ちしてるヒカル、第42局現在)六段くらいないと展開上きつそう。まあそれくらいにはなってるでしょう。佐為は十二段格(テキトー(^_^;;)?アキラは十段格。わすれてた、ダケさん(左手)彼はズバリ、総合力で七段格!!しかし右手は……初段程度!?
石の筋
「筋」には岩波国語辞典によると、「一続きになっている関係」と言う意味が載っていますが、この意味がもっとも囲碁で言う「筋」に近いと思います。
 囲碁の手というのは一手だけで意味を持つのではなく、数手が組合わさって初めて意味を持ちます。ある一手の意図を、次に続く手が継承していかなければならない。その組み合わせの一段落が一つの折衝を形成し、それが集まって囲碁の一局を形作っていくというわけです。
 そのような観点からみたとき、石の筋という言葉が意味を持ってきます。
 つまり、それまでの打ち方と関連性を崩さない、一貫した打ち方が石の筋に従った打ち方だというのでしょう。
 この辺の言葉は感覚的なものですから説明はちょっと難しいです(言い訳)(^_^;;
定石
主に布石の段階での隅に於ける折衝の定型をこのように言います。広い意味では定型化した折衝全般を指してこのように言い、「辺の定石」とか、「定石後の定石」「定石化した手順」「中盤の定石」などと言うこともあります。将棋の「定跡」と似ているかな?
打ち込み
相手の勢力圏内、地模様内、ほぼ地になっているところ、などに石を打つこと。浅いと「消し」深いと「打ち込み」と呼ばれる。意味的にはいろいろあり、相手の地の削減、相手の石を分断して攻めを狙う、などが打ち込みの効果としてありますが、失敗すると打ち込んだ石が逆に攻められたりして負担になることがあるのでリスクを勘案して打ちましょう。
最善の一手・最善手/最強の一手・最強手
「これは最善の一手ではない 最強の一手でもない」
アキラ君が佐為の一手を見て愕然とするシーンの名ぜりふ。でもこれをみて、あれっと思われた方はいるのではないかと思います
「最善でも最強でもない??最善も最強も同じじゃん!」

といいたくなりませんか(^_^;;??

しかし、これは別にアキラ君がセリフの格好をよくするために姑息に付け足した言葉ではありません。何せ小学六年生ですから(^_^;;格好つけるなんてあなた(^_^;;
(なめすぎ??)
 まあとにかく、囲碁では「最善手」と「最強手」というのははっきりくべつされているのです。
 最善手とは、文字通りもっともいい手のことです。最善の手、ということです。ちなみに「善手」という言葉はありません。普通その意味では「好手」「妙手」などといいます。「妙技」とはいいません(爆)
 
 で、最強手ですが、これは最も強い手、という意味です。「強手」という言葉は頻出囲碁単語です。意味は、「最もがんばった手」というのが近いかな。つまり、隙はあるかもしれないが、相手にとっては少なくとも厳しくみえる手であります。打つ方も打たれる方もリスクの大きい手であるといってよいでしょう。最強手が最善手という局面はあると思いますが、最善手は常に最強手だというわけではありません。むしろ、最強手というのは、「最強だが無理」という否定的なニュアンスで用いられることが多いように思います。
 
 
目(もく)
地の単位。これの多さで勝敗を競う。アゲハマの数は石の数でもあり、直接地として換算されることになるので地の数でもあるのでアゲハマの単位は「目」でも「子」でもいいように思われる(^_^;;手の大きさを表現するには、その手によって得られる利益を地に換算してどのくらいか、として考えるので、「この手○目」などと言うこともできる。
コミ
互先での対局では、後手の白番の不利がはっきりしているので、その不利を補うために先手の黒番に「コミ」という負担がかけられます。負担とは、具体的には最終的に地を数えるときに、普通は「五目半」自分の地の目数から引く(あるいは相手の地に五目半くわえる)というもので、例えば50目黒が地を取っていれば、コミ分を引いて黒地は44目半と計算されるわけです。ですから、このとき白が47目の地を取っていれば、結果は盤面では黒3目勝ちなのですが、コミがあるので(47−44.5=2.5)で白2目半勝ち、ということになります(ちなみに「半」というのは、ジゴ(引き分け)をなくすためにつけたもので、半目という数値自体に具体的な意味があるわけではないと思います)。
 

第3局「死活の急所」

死活
死は石の死、活は石の活きを意味します。この言葉は余り単独で使われることはなく、詰碁という意味で使われたり、「死活の急所」という風に「急所」と言う言葉とセットで使われたりするくらいでしょう。
急所
haradai_なりに定義するなら(99/10/22現在)、急所とは石の働きが最大に発揮される点です。手筋とか、最善手と言うのと似ていますが、ニュアンスが違っています。手筋の効果は一連の石の流れに依存しますが、急所の効果はそれ一手だけで発揮されると言った意味があると思います。急所を押さえてしまえば、相手はどう打ってもなかなか良くならないという感じです。もちろん「手筋」と全く別物だというわけではありません。

 

第4局「許せない暴言」

指導碁
実力が上のものが、下のものに対して打ち方を教えるために打たれる碁。勝負と言う意識を持ってしまう以上は指導碁にはなり得ないので、やはり相当の実力差が前提でしょう。無理をしないで打つことにより、正しい打ち方、正しい石の流れと言うものをその対局の中で相手にわからせるのが理想でしょう。
 佐為「指導碁というのは相手を正しい筋へ導いてやるのが目的です。言葉はいりません、一手一手が語るのです」
 まあぼくが見る限り、指導碁というのは対局後の検討で上手が言葉を尽くして下手に教えていると言うのが多いですが……
日本棋院
長くなりそうなのでまた後ほど……(^_^;;すみませーん
名人戦
タイトル戦の名前です。朝日新聞社がスポンサー。九人の棋士がリーグ戦で戦い、一位の棋士が挑戦者となります。挑戦手合いは九月から打たれ、七番勝負、二日制の対局です。持ち時間は八時間です。リーグ戦で下位の三人はリーグから陥落し、新たなリーグ入りの棋士は三次にわたるトーナメントの予選を経て決定されます。
 強者揃いのリーグ戦を勝ち抜くわけですから、トーナメントと違ってやはり本当の実力がでるのでしょうね。しかし低段者には余り機会が与えられないということにもなるでしょうか。
棋聖戦
読売新聞社による、優勝賞金が最も高いタイトル戦。「最高棋士決定戦」という名前のトーナメント戦が行われ、決勝戦三番勝負を勝った者がタイトル者と七番勝負・二日制の対局を行います。年明けに始まる棋戦です。最高者決定戦に出場権を得るには、いくつか方法があります。まず一般的なのが各段位のトーナメント戦が行われ、これに優勝した七段から九段の棋士が出場権を得ます。八段は準優勝者、九段については五位まで出場権があります。六段以下の優勝者と七段の準優勝者は、パラマスという形式で戦い、勝ち抜いた一人が出場権を得ます。また、前期トーナメント三番勝負の出場者(つまり最高棋士決定戦の準優勝者)と前期挑戦者は出場権を有しています。また、本因坊位、十段位、天元位にあるタイトル者は出場権を持ちます。だいたいこれくらいでしょうか……(^_^;;基本的にはトーナメントなので、最高棋士決定戦との名がふさわしいともおもえます。しかしやはり高段者は明らかに優遇されています。
 (’99/11/7)えっと、付け足しです。というか、システム変更です。2000年の25期から
予選、最終予選を経て11人の棋士を選抜し、前年度の7番勝負の敗者を加えた12名の棋士をAリーグ、Bリーグに分けてそれぞれリーグ戦を行う、で、それぞれのリーグの一位の棋士が挑戦者決定戦を行って、挑戦者を決定する、
 
という形式になるらしいです。トーナメント戦が基本だった棋聖戦がリーグ戦になるわけですが、名人戦、本因坊戦と違って、リーグに入った棋士が次回以降リーグ残留する優先権はないので、その辺は明らかに違うところですよね。名人戦、本因坊戦では、同じような顔ぶれが毎年打っていますが、棋聖戦では毎年フレッシュな顔ぶれがリーグ戦で争うということになるわけです。いいですね〜。
 そうそう、重要なことが、この変更にあわせて賞金が3,300万円から4,200万円にアップするそうです。まあ見かけだけの変化(対局料制→賞金制)だそうですが、何か豪快で(?)いいですね。
秀策のコスミ
本因坊秀策が創出した打ち方らしい。

第5局「牙を剥くアキラ」

互先
ハンデ無しの、両者公平な戦い。普通の対局は互先で行われます。黒は白に対してコミを出します。(コミは普通五目半)
ニギる・ニギリ
互先の碁において、白と黒を決めるために行う行為。白石を片方がいくつか片手でニギって、その偶奇をもう片方が黒石を盤上に二つか一つ置くことによって当てます。当てたら黒番、はずれたら白番
ハサミ
囲碁の手の一種で、カカリに対して受けるのではなく、かかってきた石にヒラく余地を与えないよう打たれる手。

第6局「一刀両断」

 
ありません
投了するときの決まり文句。打つ手がないのか、地がないのかよくわかりませんが……。ちなみにぼくは余り使いません。と言っても負けないわけではなく、単にこの言葉を使わないだけ(笑)「あの、すいません、投げます」とか、「ダメですね、参りました」とかといいます。
中押し(ちゅうおし)
これは「ちゅうおし」と読みます。けして「なかおし」ではありません。この読み方の違いも囲碁を知ってるか知らないかの尺度になりやすいです(笑)。最後まで打たずに勝負がついたことを指します。中押し勝ちといえば、相手が投げてくれたことを意味します。ちなみに、投げずに最後まで打つ碁は「作り碁」と言います。最後に整地して地を数える作業は「作る」といいます。「この碁、作る?」とか聞かれたら(^_^;;いやですけど意地でも「はい」と答えましょう(^_^;;というのは冗談で、だいたいそんなこと聞かれるということは明らかに大差がついているということですから、言ってる側としては投了勧告のセリフであるわけです。そういわれてしまったらもう投げるしかないでしょう。ただ、どうしても打ちたい場合には突然土下座して、頭を下げて「お願いします、もう少しだけ打たせてください」くらいいわないとダメですね(笑)。たまに間の抜けた人がいて、自分の大石が死んでいるのに気づかずに、自分が勝っていると思いこんで投了勧告をする人がいますが、温かい目で見守ってあげましょう(爆)
カカリ
漢字で書くと「係り」だと思います。決して「攻めかかっていく」という意味ではないと思いますが……。というのは、カカリと言う手はけして常に攻めの手だというわけではないからです。相手の隅の石と関わりを持つための手……具体的には、主に隅の相手の石の近くに打つ手です。
ツケ
相手の石にぴったりくっつける手。ツケから戦いが始まった場合、部分的には常に相手の石数が自分の石数を上回ることになるのでどうしても不利になりますが、周囲の石の配置によって全体として効果を上げることを狙って打たれるのです。攻撃の手と勘違いされることが多いですが、実際には全く逆で、相手の石を固める手です。「攻める石にはツケるな」と言う格言はそのことを端的に示しているでしょう。
また、「サバキはツケから」という格言もあります。サバキの場面においては、ツケのような部分的には不利な手でも有効になることがおおいです。
 

第7局「詰碁三題」

石の流れ
一手には目的・構想・ヨミが反映されていますが、石の流れというのはその目的・構想・ヨミについて言われることでしょう。川の水が川の形にしたがって流れるように、囲碁の一手はその局面の碁形にしたがった構想に基づいて打たれます。局面の展開にしたがって、構想はその局面にふさわしいものに変わっていくわけで、その変化を「流れ」と表現したのでしょう。
コミックス一巻で、塔矢名人がヒカル(佐為)の序盤の打ち方を評して「石の流れにゆがみはなく……」と言っていましたが、布石の打ち方を見る限りでは、それを裏づける構想に無理、強引、あるいは明らかに疑問と思われる要素がないと言うことでしょう。
 たとえば、相手がごく普通に打ってきているのに、あえて相手の勢力圏内に飛び込んでいって戦いの碁にしようという構想があります。そういう場合石の流れは不自然、強引、ということになるでしょう。結果的にそれが効果をあげることはあるでしょうし、その戦法を得意としている人もいるでしょうが、それはまた別問題です(^_^;;
悪手
文字通りの悪い手。部分的にはどんなに良い形でも、全局的な勝負に影響を与える以上悪手と呼ばれてしまう。詰碁の正解手をうっても、その次の手で相手に決定的な点を打たれて負けたらその「正解手」は大悪手と呼ばれるでしょう。
詰碁
囲碁のルールに基づくパズルで、指定された部分的な石の一団を活かしたり、殺したりするのが目的。基本的に、答えにたどり着く打ち方は一通りだけ。
囲碁の上達にもっとも効果的なのが、詰碁を解くことだというのはよく言われること。単にヨミの力を鍛えるだけでなく、囲碁の次の一手を考えるに当たっての様々な示唆を与えてくれるような気がします(^_^;;あーもっと詰碁やらないとなーσ(^_^;
有段者
文字通り、段を持っている人。プロ棋士は全員段を持っているので、この言葉はアマチュア専用の言葉ですな。アマ初段になれば有段者といえることになるが、そもそも初段の基準自体はっきりしていないので、有段者すなわち〜である、となかなか言えない(^_^;;完全に個人的な意見ですが段の基準はもっと厳しくてもいいと思います。いまではヤフー碁でもそうですが、自称の初段〜四段くらいまでは実力は曖昧な感じがします。
 五段ともなれば実力が安定してきて、囲碁の考え方というものが確立し、基本的な知識を身につけ、自分の実力に自信を持てるようになると思います。(つまり、自分で自分の実力を卑下する人は、全く根も葉もない大嘘でなければ、絶対に四段以下です。)
 六段は「天下六段」という言葉があるように、六段になれば普通のアマチュアには絶対負けません。

第8局「負けようか?」

第9局「大将・副将・三将」

一手の重み
 これが解説すべき「用語」かどうかはわかりませんが(^_^;

囲碁というのは、対局者がお互いに一手ずつ打ち合うというのが決まりで、2手連打とか、打ち直しとかはあり得ません。「パス」は対局停止の意図によってのみされるものですし、相手が「パス」という手を打ったという意味とすればやはり「お互い一手ずつ」というのは覆せない原則です。

ですから、長いこと碁を打っていると、碁石というものは一旦碁盤に置かれて自分の手から離れてしまうと碁盤に張りついてしまってもはや動かせないものである、そういうことが実感として体にしみついてきます。

たとえあとからスゴクいい手を見つけても、一旦指が離れてしまうと打ち直したいと思うことはありません。なぜならそれはもう動かないものだからです。打ち直したいという感情はナンセンスなのです。それは時間を逆行したいという願いに似ています。誰もがそう思うことがあっても、それについて真剣に考えることはしません。それは不可能だからです。

ですから、次の一手を打つということは、決してやり直しのきかない未来に向かって一歩を踏み出すということです。

「一手の重み」というのはそういう条件が囲碁の一手一手に与えられるものです。「一度打ったら動かせないから囲碁の一手一手は重いのだ」ということができるでしょう。佐為の発言は「人生の選択はやり直しがきかない。それが人生の選択の重みだ」という言葉と似た意味でしょう。

ところで、一度石から指が離れたのに、相手がそれに応える前に盤上から取り上げて違う場所に打つという行為、これは「ハガシ」と呼ばれます。これは2度着手したということになるので当然反則です。反則はその時点で負けであります。(ちなみに「ハガシ」と「待った」の違いですが、ハガシは相手が打つ前に打ち直すこと、待ったは相手の次の手が打たれてから打ち直すことをいうのではないかと思っています。が、本当のことは知りません(^_^;))

指導碁などでは下手のハガシを許したりするケースもあるかもしれませんが、こういうことは癖になっても困るので「絶対にハガシはしない」という覚悟(というほどのものでもないが)で打つようにしたほうがよろしいかと思います。

ちなみに、「打つ」という行為がどこまでを指すのかというと、石を盤上に置いて、指を離すまで、です。つまり、指を離さなければまだ「打つ」と言う行為は完了していないと見なされるわけで、この段階ではいったん置いたとしても、ずらすことは可能であります。しかしこれまた、ずっと石から手を離さずに、着点を迷っているようではマナー違反と呼ばれるに十分です。そもそも碁石を手に取るときには、打つ場所をはっきり決めたあとです。一度碁石を碁笥から取り出したら、迷わないでさっと打つようにしましょう。どうしても迷ってしまって、碁石を持ってから打たずにまたそれを碁笥に戻したりしてしまったときには「失礼しました」の一言くらいはいうべきです。

半目負け
 囲碁の勝負の中でもっとも僅差の勝負が半目差で決着がつく勝負です。負けた方としては、あと一目どこかで稼いでおけば勝っていたわけですから悔やまれますよね。この辺になると、実力は拮抗しているわけですから勝敗を分けるものは、ほんのわずかな指運とかですね。しかし、(ボク自身は余り経験したことないから何とも言えませんが、)このような細かい勝負を分けるのは結局勝ちへの執念ではないかとおもいます(^_^;;
 そういう意味からしても、加賀と佐為の碁が佐為の半目負けに終わったのはどうも納得いかないですσ(^_^; 加賀は数目の(多分)要石をとって勝ちを確信していたわけで、油断していた様子が明らかに見てとれます。油断した方が囲碁は負けるんです。それなのに勝つというのは、佐為の方に執念がなかったのか、あるいは加賀の勝負強さが並大抵のものではなかったか、どちらかでしょうか……。やはり加賀は強いんですね(^_^;;
ポカ
何とものどかな響きを持つ言葉ですが、実際には「悪手」よりもはるかに悪い手を指す言葉ではないかと思います。あまりに悪すぎるので、呆れて自嘲している言葉です。プロの碁ではポカと言う言葉はほとんど聞きませんね。さすがに。
大将・副将・三将
団体戦のメンバーは普通こういう風に呼ばれるみたいです。大学では「大将」ではなく「主将」といってますが、まあ特に意味には反映されてないでしょうね。4人以上でも、数字を「将」につけて呼びます。七人目のメンバーは七将と言うことになります。
一手目から覚えてる
……もはや用語ではないですね(^_^;;
囲碁の対局は、囲碁を知らない方にとってただ石を並べているだけのように思われるでしょうが、その「ならべ」方には深い意味が込められています。

 囲碁は別名「手談(しゅだん)」と呼ばれますが、これは「手による会話」というくらいの意味で、一手一手を言葉一言一言に喩えているのです。一局の碁というのは、一つのまとまった会話とみることもできるということです。

 私たちはたくさんの単語を駆使して会話していますが、会話が終わった後にはその単語一つ一つにとらわれずその内容を思い出すことができます。それと同様に、囲碁の一局も、一手一手に言葉と同様に意味を与えて打っている以上、想像以上に楽に思い出せるのです。ですから、囲碁を打てるひとが、一回打った碁をすらすら並べ直すのを見て、初心者の方はビックリするかもしれませんが、単に囲碁という言葉による会話を思い出しているだけなのです。日本語をしゃべれる人が、日本語という言葉による会話を容易に思い出せるのと変わりありません。

 コミックス三巻で、アキラが目隠し碁を打たされ、強い方の小島ではなく弱い方の奥村との碁に困っていたというのは上のことから理解できるでしょう。
 奥村の碁を会話に喩えるとするなら、相手の言っていることを全く理解せずに、勝手にべらべら独りよがりの内容をしゃべったり、あるいはすぐに違うことを言い始めるなど論理的な一貫性を欠く、そんな感じでしょう。そういう人のいっていることは理解もできないし、後から思い出すことも困難であるのと同様に、奥村の手はアキラには極めて理解しがたいものだったわけです。
 
 ところで実際に囲碁を一手目から並べようとするとき、最初の四手(とそれ以降の布石段階)は意外に思い出しにくいのです。
 これは囲碁のパラドックスですね(笑)布石なんていうものは感覚で打ち、とくにこだわった意味を含ませない場合がすくなくないですからこういうことが起こります。……布石で考えるのは、かなり強くなってからですよね。最初の四手を思い出せれば、後の打ち方は意味を帯びてきますから、意外にすらすら並べられるものです。
 
 しかし、最初から間違いなく並べるというのはなかなか難しいものです。大まかには覚えていても、完璧に、となると有段者になってもなかなかできません。だから、第9局でヒカルが一手目からしかも他人の碁をすらすら並べたというのは、驚嘆に値すべきことです。この時点でヒカルに対してコンプレックスを抱いた碁打ちは多かったんではないでしょうか(笑)

第1局〜第9局 第10局〜第19局 第20局〜第29局 第30局〜第39局 第40局〜第49局


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